求织田信长所跳的《人间五十年》中文版,还有敦盛的《人间五十年》?

有很多我搞不清楚到底是谁的 祥细点
2024-11-26 14:28:57
推荐回答(3个)
回答1:

さる程に、熊谷は(経盛の返し状)をよくよく见てあれば、菩提の心ぞ起こりける。(寿永四年三月)今月十六日に讃岐八岛を攻めらるべしと闻いてあり、我も人も忧き世にながらえて、かかる物忧き目にも、また直実やあはずらめ。思えば此の世は常の住みかにあらず。草叶に置く白露、水に宿る月ょりなほはやし。金谷に花を咏し、栄花は先立って无常の风に诱わるる。南楼の月をもてあそぶ辈も、月に先立つて有为の云に隠れり。人间五十年、化天の内をくらぶれば、梦幻のごとくなり。一度生を受け灭せぬ者の有るべきか。是を菩提の种と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思い定め

友情提供翻译:
却说,熊谷(次郎直实)将(平)经盛之回书细细揣读,竟起菩提之惠心。(直实)听闻(寿永四年三月)本月十六日将欲攻取赞岐八岛,心念我等俱长居于此忧患之世间,逢此罪业之障亦乃定数也。

细细思量,此世非常栖之所,
浮生之迅疾微细
尤胜草间白露、水中孤月。
金谷园咏花之人,为无常之风所诱,荣华之梦早休
南楼弄明月之辈,为有为之云所蔽,先于明月而逝
人间五十年,比之于化天
乃如梦幻之易渺
一度享此浮生者,岂得长生不灭?
非欲识此菩提种,生灭逐流岂由心。

这个不叫人间五十年,这是幸若舞中的《敦盛》

回答2:

《敦盛》是日本传统戏剧“能”的一种“幸若舞”其中的名篇。

思えば此の世は   
常の住処にあらず   
草の叶におく白露   
水に宿る月より犹あやし   
金谷に花を咏じ   
栄华はさきを立って 无常の风にさそわるる   
南楼の月を弄ぶ辈も   
月に先だって   
有为の云に隠れり   
人间五十年   
下天のうちを比ぶれば梦幻の如くなり   
一度生を享け   
灭せぬもののあるべきか。   
是を菩提の种と思ひ定めざらんは   
口惜しかりし次第ぞと思ひ定め   
急ぎ都へ上りつつ   
敦盛の御首を见れば物忧さに   
狱门よりも盗み取り   
我が宿に帰り   
御僧を供养し   
无常の烟となし申し   
以下为北条流云庵殿的翻译:   
乃思此世非常住之所   
恰似草尖之露水中映月   
金谷园中花色现荣华之景   
而引无常之风吹飘零   
南楼观月客所望之月色   
月色终引有为之云而隐   
人生五十年   
同下天而比不过南柯一梦   
曾有为生者岂有不为灭之   
此即为菩提之种,常法所定   
虽为所惜亦不得改变   
现急急上洛   
见敦盛首级而生烦恼之心   
遂于狱门盗之   
转归吾宅   
举火化之为无常之烟   
寻僧供养超度

此乃能剧幸若舞《敦盛》织田信长在桶狭间之战前唱的

人世五十年
去事恍如梦幻
有生亦有死
壮士复何憾

回答3:

《幸若舞·敦盛》
常思人世漂流无常
譬如朝露
水中映月
刹那繁华瞬间即逝
风流人物
今非昔比
人生五十年
莫非熙熙攘攘
浮生幻梦
名垂青史
功败湮灭
只是宿命因果
一念之间
有何可惜
急至京都忧心难忍
狱门示众
敦盛之首
窃而归家传僧供奉
叹息如烟
人间无常