さる程に、熊谷は(経盛の返し状)をよくよく见てあれば、菩提の心ぞ起こりける。(寿永四年三月)今月十六日に讃岐八岛を攻めらるべしと闻いてあり、我も人も忧き世にながらえて、かかる物忧き目にも、また直実やあはずらめ。思えば此の世は常の住みかにあらず。草叶に置く白露、水に宿る月ょりなほはやし。金谷に花を咏し、栄花は先立って无常の风に诱わるる。南楼の月をもてあそぶ辈も、月に先立つて有为の云に隠れり。人间五十年、化天の内をくらぶれば、梦幻のごとくなり。一度生を受け灭せぬ者の有るべきか。是を菩提の种と思い定めざらんは、口惜しかりし次第ぞと思い定め
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却说,熊谷(次郎直实)将(平)经盛之回书细细揣读,竟起菩提之惠心。(直实)听闻(寿永四年三月)本月十六日将欲攻取赞岐八岛,心念我等俱长居于此忧患之世间,逢此罪业之障亦乃定数也。
细细思量,此世非常栖之所,
浮生之迅疾微细
尤胜草间白露、水中孤月。
金谷园咏花之人,为无常之风所诱,荣华之梦早休
南楼弄明月之辈,为有为之云所蔽,先于明月而逝
人间五十年,比之于化天
乃如梦幻之易渺
一度享此浮生者,岂得长生不灭?
非欲识此菩提种,生灭逐流岂由心。
这个不叫人间五十年,这是幸若舞中的《敦盛》
《敦盛》是日本传统戏剧“能”的一种“幸若舞”其中的名篇。
思えば此の世は
常の住処にあらず
草の叶におく白露
水に宿る月より犹あやし
金谷に花を咏じ
栄华はさきを立って 无常の风にさそわるる
南楼の月を弄ぶ辈も
月に先だって
有为の云に隠れり
人间五十年
下天のうちを比ぶれば梦幻の如くなり
一度生を享け
灭せぬもののあるべきか。
是を菩提の种と思ひ定めざらんは
口惜しかりし次第ぞと思ひ定め
急ぎ都へ上りつつ
敦盛の御首を见れば物忧さに
狱门よりも盗み取り
我が宿に帰り
御僧を供养し
无常の烟となし申し
以下为北条流云庵殿的翻译:
乃思此世非常住之所
恰似草尖之露水中映月
金谷园中花色现荣华之景
而引无常之风吹飘零
南楼观月客所望之月色
月色终引有为之云而隐
人生五十年
同下天而比不过南柯一梦
曾有为生者岂有不为灭之
此即为菩提之种,常法所定
虽为所惜亦不得改变
现急急上洛
见敦盛首级而生烦恼之心
遂于狱门盗之
转归吾宅
举火化之为无常之烟
寻僧供养超度
此乃能剧幸若舞《敦盛》织田信长在桶狭间之战前唱的
人世五十年
去事恍如梦幻
有生亦有死
壮士复何憾
《幸若舞·敦盛》
常思人世漂流无常
譬如朝露
水中映月
刹那繁华瞬间即逝
风流人物
今非昔比
人生五十年
莫非熙熙攘攘
浮生幻梦
名垂青史
功败湮灭
只是宿命因果
一念之间
有何可惜
急至京都忧心难忍
狱门示众
敦盛之首
窃而归家传僧供奉
叹息如烟
人间无常