宫崎 骏(みやざき はやお、1941年1月5日 - )は、东京都文京区出身(墨田区出身という说もある)のアニメーション作家・映画监督・漫画家。别名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照树 务(てれこむ)がある。杉并区立永福小学校、杉并区立大宫中学校、东京都立豊多摩高等学校、学习院大学政経学部卒业。血液型O型。
株式会社スタジオジブリ(所在地:东京都小金井市梶野町1425)に映画监督として所属し、取缔役として経営にも参加している。また、自身が企画开発した三鹰の森ジブリ美术馆の馆主である。个人の事务所は株式会社二马力で、主に宫崎の著作権関连の管理を行っており、自身は代表取缔役社长である。
宫崎骏の似颜絵目次 [非表示]
1 来歴
1.1 初期
1.2 未来少年コナン以后
1.3 スタジオジブリ后
2 作风
3 政治的・思想的スタンス
4 略歴
5 作品
5.1 监督作品
5.1.1 长编アニメーション映画
5.1.2 短编アニメーション映画
5.1.3 テレビアニメーション
5.2 参加作品
5.2.1 剧场用アニメーション映画
5.2.2 テレビアニメーション
6 その他の作品
6.1 漫画・絵物语など
6.2 デザインワーク
6.3 作词
6.4 著书(対谈・インタビューなど)
6.5 絵コンテ集
6.5.1 剧场用アニメーション映画
6.5.2 テレビアニメーション
7 幻の作品一覧
8 参考文献
8.1 関连书籍
8.2 関连DVD
9 その他
9.1 シナリオなしでのアニメ制作
9.2 亲族
9.3 声优の起用
9.4 日本のアニメ界への危机感
9.5 嗜好品
9.6 影响
10 関连项目
11 脚注
12 外部リンク
[编集] 来歴
[编集] 初期
宫崎骏は、亲类の経営する「宫崎航空兴学」の役员を父亲が务めていたことから、太平洋戦争中であっても、何不自由なく幼年时代を过ごした[1]。だが会社が中岛飞行机の下请けとして军用机の部品を生产していたことが、军事用兵器に対する相矛盾する感情を生むことになった。
子供の顷から絵が上手く、手冢治虫や杉浦茂の漫画、特に福岛鉄次の絵物语『砂漠の魔王』のファンという漫画少年であった。学校で长兄がボス格であった为、平穏な学校生活を过ごした。高校三年生の时に観た东映动画の『白蛇伝』に感动し、アニメーションにも関心を持つようになる。长兄と同じ大学に进学し、当时は大学に漫画サークルが无かった为、一番近そうな児童文学サークル(児童文化研究会)に所属する。漫画家を志望し、あちこちの雑志编集部に自作漫画の持ち込みをしたが采用されず、卒业后はアニメーターとして东映动画に入社する。
その后しばらくは漫画家への未练を断ち切れずにいたが、入社一年后に観たソ连制长编アニメ映画『雪の女王』に强い感铭を受け、アニメーションを一生の仕事にしようと决意する。たちまち才能を现してメインスタッフとなると共に、结成间も无い东映动画労働组合の书记长に就任する。激しい组合活动を行いながら高畑勲・大冢康生らと共に『太阳の王子 ホルスの大冒険』を作り上げ、その后も宫崎骏・高畑勲・大冢康生のトリオはさまざまなスタジオで优れた作品を作り続ける。
[编集] 未来少年コナン以后
动画、原画、场面设计、画面构成、レイアウト等、业界の作画畑を长年に渡って歩んできた宫崎だが、NHKの『未来少年コナン』で満を持して本格的に演出家デビュー。持ち前の高度な作家性を発挥し、原作を大幅に改変したオリジナルなストーリーを展开し好评を得る。
その后テレコム・アニメーションフィルムに移籍し『ルパン三世 カリオストロの城』で映画监督としてデビューする。しかし同作は业界関系者やコアなアニメファンからは热狂的に支持されるも、SFアニメ全盛の时代に合わず兴行的に振るわなかった。宫崎が作家として社会认知を得るまでには至らず、逆に、有り体に言えば干されてしまった。
アメリカに渡り、大冢康生や高畑勲らとともに日米合作映画『リトル・ニモ』の准备に携わったが、企画への疑问から降板。この时期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『风の谷のナウシカ』などの原型となる企画を构想しているが実现には至らなかった。失意の宫崎に徳间书店の『アニメージュ』志が连载マンガの企画を持ちかけ、同志上で『风の谷のナウシカ』の连载が始まる。当时、メディアミックスや映画事业に意欲的だった徳间书店の徳间康快社长(当时)が剧场アニメ化を决断し、宫崎の弟が勤务する博报堂がこれに乗る形でプロジェクトが结成され、1984年にアニメ映画として制作・公开される。映画『风の谷のナウシカ』は、『ルパン三世 カリオストロの城』がテレビ放映され、その面白さが広く社会に认知されたことや、エコロジー・ブームの中にあったことと相俟って大ヒットとなり、作家としての宫崎骏が広く认知されることとなった。
[编集] スタジオジブリ后
その后は徳间书店の出资を得て创设したスタジオジブリを舞台に、ほぼ2~3年おきに长编作品を制作している。1988年『となりのトトロ』で世代やジャンルの境界を越えて一般人から広く支持を受け、国民的映像作家としての地位を确立する。
1997年に公开された『もののけ姫』は、前年の徳间书店とディズニー社の业务提携によるジブリ作品の世界进出のニュースや、ジブリ史上最大の制作费、宫崎の监督引退说(宫崎は引退する意向であったが、后継者と目されていた近藤喜文の急逝によって、引退出来なくなってしまったとする说もある)などが话题になった事もあり、『E.T.』が持っていた日本の映画兴行记录を涂り替える大ヒット作となった。
2001年に発表した『千と千寻の神隠し』は『タイタニック』に夺われた日本映画界の兴行记录を夺还し、『もののけ姫』の记录をさらに涂り替える、観客动员2350万人、兴行収入304亿円の日本における兴行の新记录を作った。海外からの评価も非常に高く、翌年のベルリン国际映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊赏を受赏し、2003年にはアカデミー赏长编アニメーション部门のオスカーを受赏した。
2004年公开の『ハウルの动く城』では宣伝を极めて抑えた公开であったにも関わらず、『千と千寻の神隠し』に継ぐ大ヒットを记录。さらにヴェネチア国际映画祭のオゼッラ赏、ニューヨーク映画批评家协会最优秀アニメ赏を受赏するなど『千と千寻の神隠し』同様海外において高く评価された。
2005年には、ヴェネチア国际映画祭において优れた世界的映画人に赠られる栄誉金狮子赏を受赏した。
2006年には、ハリウッド最高の名誉とされるアカデミー赏の选考委员に选ばれ、招待状が送付された。宫崎はこれ以前に2度选ばれているが、创作活动に専念したいなどの理由から就任を辞退した。
现在は、2008年夏公开予定の『崖の上のポニョ』の制作に取り组んでいる。
[编集] 作风
一贯してファンタジーを作り続けている。これについて、「厳しい现実世界からの、子供の一时の逃げ场が必要だ」という趣旨の発言をしている。児童文学を爱読し、「アニメーションは基本的に子供の物」と公言するだけあって、その作品はほぼ一贯して子供の目线に立ち、悪役を大人にすることが多い。但し、多くの作品は単纯明快な勧善惩悪ものではなく、「悪役」もまた、重层的で复雑なキャラクターであることが多い。作中に登场する食べ物を美味しそうにディテール豊かに描くことでも定评がある。
戦史·军事マニアとして知られ、第二次世界大戦から前の甲胄·铠兜や兵器·AFVに造诣が深い。作中で登场する兵器や乗り物にはその知识が十全に活かされている。この方面の趣味が発挥されている作品としては『月刊モデルグラフィックス』志の『宫崎骏の雑想ノート』という虚実织り交ぜた架空戦记物の超不定期连载マンガがある(途中からタイトルは『妄想ノート』に変更され、现在は中断)。
监督を担当した长编アニメーション映画の作品名にはどれも『の』が含まれているのが特徴で「风の谷のナウシカ」「魔女の宅急便」「となりのトトロ」などがヒットしたため縁起を担ぎ続けていると语っている。
[编集] 政治的・思想的スタンス
一贯して环境保全、反戦を主题とした作品を作り続け、湾岸戦争に対しては米国政府の方针に反対の立场を表明していた。 大学时代から社会主义思想に倾倒するようになり、东映动画入社后は激しい组合活动を行った。宫崎の社会主义に対するスタンスは未来少年コナンにおけるヒトラーの国家社会主义&スターリンの管理型社会主义を表象するインダストリア、その対置にあるものとして原始共产主义またはユートピア社会主义を表象するハイハーバーで描写される社会构造に垣间见られる。 宫崎の强権的「国家」に対する批判的姿势は、堀田善卫や司马辽太郎らとの交流から、人间の実相を「もっと长いスタンスで、もっと远くを见る」ように凝视する(宫崎が"澄んだニヒリズム"と呼ぶところの)姿势に転换していく。例えば漫画版『风の谷のナウシカ』のラストなどに、その人间観・世界観の変化の影响が见受けられる。
なお、宫崎に深く影响を与えた思想に、文化人类学者中尾佐助による「照叶树林文化论」がある。ヒマラヤ山脉南麓から中国南部・日本本州南半分までを含む地域が、茶・酒・柑橘类などの特色をもつ共通の农耕文化圏に含まれるとするこの学说に、国家の枠を乗り越える视点を与えられ、「呪缚からの解放」感を味わったという。この影响は特に「もののけ姫」に强く表れている。その后も宫崎はインタビュー・対谈など事ある毎に中尾佐助を引き合いに出している。このことは若き日の宫崎にとっていかに「日本」という命题が深刻なものであったかを、逆说的に物语っているものといえよう。
最近では、问题になった新しい歴史教科书をつくる会の教科书を「民族の“夸り”は歴史を歪曲することで得られるものではない」と语ったことがある。一方で宫崎は、司马辽太郎や堀田善卫との鼎谈で、韩国人の误った歴史认识に言及しておりコスモポリタニズム的立场で各国の偏狭なナショナリズムを批判しているといえる。また宫崎は宪法改订に関して9条の支持を表明しているが、同时に、もし国民が9条改订を选択したならそれに従うという趣旨の発言もしており、社会民主主义者としての一面も持っている。
もののけ姫は宫崎の歴史観をあらわす重要な作品である。従来の士农工商を中心としたマルクス主义的阶级史観では语られてこなかったたたら制鉄技术者集団、马子运送业者、らい病患者を登场させ、女性が产业を担い発言権を持っている描写に网野善彦の影响が强く见られる。不老不死の薬をめぐる、中央の権力を表象する「天朝さま」と在地方権力を表象する「公方」「侍」との争夺竞争、それらとは无縁の「天朝さまとは何ぞや」とつぶやく女性を描写している。
[编集] 略歴
1941年 1月5日东京都文京区生まれ。なお、同年生まれのアニメ监督には、りんたろう、芝山努、富野由悠季、鸟海永行がいる。
1963年 学习院大学政治経済学部卒业。东映动画入社。なお、同年の政治経済学部卒业生には、麻生太郎(现外务相)、高岛肇久(现学习院大学特别客员教授、元NHK解说委员长)、三枝辉行(阪神百货店相谈役)、有薗宪一(ベスト电器社长)らがいる。
1964年 东映动画労働组合の第2代书记长に就任。なお、初代书记长は大冢康生。
1965年 同僚の太田朱美と结婚。なお、式の司会は大冢康生。
1967年 长男(宫崎吾朗・(财)徳间记念アニメーション文化财団理事)诞生。
1970年 次男(宫崎敬介・木口木版画家)诞生。
1971年 高畑勲、小田部羊一と共にAプロダクション(现シンエイ动画)に移籍。
1973年 高畑勲、小田部羊一と共にズイヨー映像 (のちに日本アニメーションに改组)に移籍。
1978年 『未来少年コナン』で演出家に転向。
1979年 东京ムービー新社の子会社テレコム・アニメーションフィルムに移籍。
1980年 初监督作品『ルパン三世 カリオストロの城』が第18回大藤信郎赏を受赏。
1982年 1月より『アニメージュ』志上で『风の谷のナウシカ』连载开始。11月22日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。
1984年 4月、个人事务所二马力を设立。
1985年 『风の谷のナウシカ』が大藤信郎赏受赏。スタジオジブリを设立。
1987年 『天空の城ラピュタ』が大藤信郎赏受赏。
1989年 『となりのトトロ』が毎日映画コンクール・日本映画大赏・大藤信郎赏、第39回芸术选奨・芸术作品赏・文部大臣赏、第12回山路ふみ子映画赏を受赏。キネマ旬报日本映画ベスト・テン第一位に选出。
1990年 『魔女の宅急便』が毎日映画コンクール・アニメーション映画赏を受赏。东京都民文化栄誉章を受章。
1993年 『红の豚』が毎日映画コンクール・アニメーション映画赏、アヌシー国际アニメーションフェスティバル・长编部门赏を受赏。
1994年 『风の谷のナウシカ』が第23回日本漫画家协会赏・大赏を受赏。
1997年 『もののけ姫』がベルリン国际映画祭に正式招待。毎日映画コンクール日本映画大赏・大藤信郎赏、第2回アニメーション神戸・部门赏・演出部门を受赏。
1998年 スタジオジブリを退社し、「豚屋」を设立。『もののけ姫』が日本アカデミー赏・最优秀作品赏、第1回文化庁メディア芸术祭・アニメーション部门大赏を受赏。第26回アニー赏・生涯功労赏、山路ふみ子文化赏、淀川长治赏を受赏。
1999年 スタジオジブリに所长として复帰。
2000年 第3回司马辽太郎赏を受赏。
2001年 三鹰の森ジブリ美术馆を创立し、初代馆主に就任。第49回菊池寛赏を受赏。
日本テレビ・マイスタジオ外壁に设置された日テレ大时计 (gifアニメ表示)2002年 『千と千寻の神隠し』が毎日映画コンクール・日本映画大赏・监督赏・アニメーション映画赏、第5回文化庁メディア芸术祭・アニメーション部门大赏、第52回ベルリン国际映画祭において、アニメーション作品としても日本としても初の、最高赏である金熊赏を受赏。第68回ニューヨーク映画批评家协会・最优秀アニメ赏、ボストン映画批评家协会・特别赏を受赏。『くじらとり』が大藤信郎赏を受赏。朝日赏、フランス国家功労赏、パリ市勲章を受赏。『Business Week』志のStar of Asia・イノベーター部门に选出。
2003年 『千と千寻の神隠し』が第30回アニー赏・长编アニメ映画赏・监督赏・脚本赏・音楽赏、第75回アカデミー赏・长编アニメーション映画赏を受赏。崎玉県民栄誉赏を受赏。『TIME』志アジア电子版の「アジアの英雄20人」に选出。
2004年 『ハウルの动く城』が第61回ベネチア国际映画祭・金のオゼッラ赏を受赏。第16回ザグレブ国际アニメーションフェスティバル・功労赏、シッチェス国际映画祭・特别审査员赏を受赏。『ルパン三世 カリオストロの城』がキネマ旬报创刊85周年「オールタイムベスト・テン」アニメーション部门第一位に选出。12月、パリ造币局美术馆にて、初の个展となる「MIYAZAKI-MOEBIUS」展を开催。
2005年 徳间书店より独立した、株式会社スタジオジブリの取缔役に就任。『ハウルの动く城』が第9回ハリウッド映画祭・ベストアニメーション赏、ニューヨーク映画批评家协会・最优秀アニメ赏を受赏、第78回アカデミー赏ノミネート。第62回ベネチア国际映画祭・栄誉金狮子赏、国际交流基金赏を受赏。『TIME』志の「世界で最も影响力のある100人」に选出。
2006年 日本テレビ2阶・マイスタ外壁に设置される巨大时计のデザインを手挂ける。『TIME』志アジア版60周年记念の「アジアの英雄60年」の日本人13名の中に选出。
[编集] 作品
[编集] 监督作品
[编集] 长编アニメーション映画
1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)
1984年 风の谷のナウシカ(原作・脚本)
1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)
1988年 となりのトトロ(原作・脚本)
1989年 魔女の宅急便(脚本・プロデューサー)
1992年 红の豚(原作・脚本)
1997年 もののけ姫(原作・脚本)
2001年 千と千寻の神隠し(原作・脚本)
2004年 ハウルの动く城(脚本)
2008年 崖の上のポニョ(原作・脚本)(2008年夏公开予定)
[编集] 短编アニメーション映画
1995年 On Your Mark~ジブリ実験剧场(原作・脚本)
2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)
2001年 くじらとり(脚本)
2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)
2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)
2002年 空想の空飞ぶ机械达(原作・脚本・ナレーション)
2006年 水グモもんもん(原作・脚本)
2006年 星をかった日(脚本)
2006年 やどさがし(原作・脚本)
[编集] テレビアニメーション
1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)(第4话以降のAプロ演出グループ名义のモノ)
1978年 未来少年コナン
1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
第145话「死の翼アルバトロス」(照树务名义)
第155话「さらば爱しきルパンよ」(照树务名义)
1985年 名探侦ホームズ
第3话「小さなマーサの大事件!?」
第4话「ミセス・ハドソン人质事件」
第5话「青い红玉」
第9话「海底の财宝」
第10话「ドーバー海峡の大空中戦!」
第11话「ねらわれた巨大贮金箱」
[编集] 参加作品
[编集] 剧场用アニメーション映画
1963年 わんわん忠臣蔵(动画)
1965年 ガリバーの宇宙旅行(动画・原画)
1968年 太阳の王子 ホルスの大冒険 (场面设计・原画)
1969年 长靴をはいた猫(原画)
1969年 空飞ぶゆうれい船(原画)
1971年 どうぶつ宝岛(アイデア构成・原画)
1971年 アリババと40匹の盗贼(原画)
1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・场面设定・原画)
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美术设定・画面构成・原画)
1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)
1982年 コブラ(原画)
1987年 柳川掘割物语(制作)*実写
1991年 おもひでぽろぽろ(制作プロデューサー)
1994年 平成狸合戦ぽんぽこ(企画)
1995年 耳をすませば(脚本・絵コンテ・制作プロデューサー。一部演出も)
2002年 猫の恩返し(企画)
2006年 ゲド戦记(原案)
[编集] テレビアニメーション
1963年 狼少年ケン(动画)
1964年 少年忍者风のフジ丸(原画)
1965年 ハッスルパンチ(原画)
1966年 レインボー戦队ロビン(作画)
1966年 魔法使いサリー(作画)
1969年 ひみつのアッコちゃん(作画)
1969年 ムーミン(原画)
1971年 さるとびエッちゃん(作画)
1972年 赤胴铃之助(26、27、41话の絵コンテ)(原画)(设定)
1973年 荒野の少年イサム(原画)(设定)
1973年 侍ジャイアンツ(原画)
1974年 アルプスの少女ハイジ(场面设定・画面构成・原画・エンディング作画)
1975年 フランダースの犬(原画)
1976年 母を访ねて三千里(场面设定・画面构成・作画・エンディング作画)
1977年 あらいぐまラスカル(原画)
1979年 赤毛のアン(场面设定・画面构成)(1~15话まで)
1980年 鉄人28号(原画)
1982年 怪杰ゾロ(原画)
[编集] その他の作品
[编集] 漫画・絵物语など
长靴をはいた猫
砂漠の民(秋津三朗名义)
どうぶつ宝岛
妹へ(「宫崎骏・大冢康生の世界」に収录)
风の谷のナウシカ(全七巻)
宫崎骏イメージボード集
シュナの旅
「风の谷のナウシカ」-宫崎骏水彩画集
宫崎骏の雑想ノート
飞行艇时代
泥まみれの虎 宫崎骏の妄想ノート
ハンスの帰还
(ロバート・ウェストール・作、宫崎骏・编、金原瑞人・訳)『ブラッカムの爆撃机』 (児童书) 岩波书店 2006年10月 ISBN 4-00-024632-1
「ブラッカムの爆撃机」「チャス・マッギルの幽霊」「ぼくを作ったもの」の3编を収录に加えて、宫崎の描き下ろしで「ウェストール幻想 タインマスへの旅 前・后编」(コマ漫画、カラー24页分)を并录。
[编集] デザインワーク
TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』の「ワンダーシップ号」
TVCM『日立パソコンH2』の「ポシェット竜」
実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
日本テレビ放送网のシンボルキャラクター「なんだろう」
神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
三鹰市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
江戸东京たてもの园のシンボルキャラクター「えどまる」
読売新闻のシンボルキャラクター「どれどれ」
中日ドラゴンズ公式ファンクラブのマスコットキャラクター「ガブリ」
1991年、映画宣伝用に自主的に作ったキャラクターを、球団创设70年にあたる2006年、ファンクラブ设立にあたり起用したもの。热心な中日ファンとして知られるスタジオジブリ社长・铃木敏夫の桥渡しによって采用されることとなった。
日本テレビ社屋外壁の大からくり时计「日テレ大时计」
[编集] 作词
『君をのせて』(『天空の城ラピュタ』挿入歌)
『风のとおり道』(『となりのトトロ』挿入歌)
『となりのトトロ』(『となりのトトロ』エンディング)
『カントリー・ロード』(日本语訳词の补作)(『耳をすませば』エンディング)
『もののけ姫』(『もののけ姫』主题歌)
『千と千寻の神隠し』イメージアルバム
『神々さま』
『油屋』
『さみしい さみしい』
『白い竜』
『お母さんの写真』(CMソング)
[编集] 著书(対谈・インタビューなど)
『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒泽明との対谈集)
『时代の风音』(司马辽太郎、堀田善卫との鼎谈集)
『トトロの住む家』(画文集)
『出発点 1979~1996』(エッセイ・発言集)
『虫眼とアニ眼』(养老孟司との対谈集)
『风の帰る场所―ナウシカから千寻までの轨迹』(インタビュー集)
『时には昔の话を』(加藤登纪子との共著、絵本、対谈)
『教育について』(共著、インタビュー集)
[编集] 絵コンテ集
[编集] 剧场用アニメーション映画
パンダコパンダ/パンダコパンダ雨降りサーカスの巻 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳间书店)
ルパン三世カリオストロの城 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳间书店)
风の谷のナウシカ スタジオジブリ絵コンテ全集1(徳间书店)
天空の城ラピュタ スタジオジブリ絵コンテ全集2(徳间书店)
となりのトトロ スタジオジブリ絵コンテ全集3 (徳间书店)
魔女の宅急便 スタジオジブリ絵コンテ全集5(徳间书店)
红の豚 スタジオジブリ絵コンテ全集7(徳间书店)
耳をすませば スタジオジブリ絵コンテ全集10(徳间书店)
もののけ姫 スタジオジブリ絵コンテ全集11(徳间书店)
千と千寻の神隠し スタジオジブリ絵コンテ全集13(徳间书店)
ハウルの动く城 スタジオジブリ絵コンテ全集14(徳间书店)
[编集] テレビアニメーション
ルパン三世 死の翼アルバトロス/さらば爱しきルパンよ スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳间书店)
名探侦ホームズ 小さなマーサの大事件!?/ミセス・ハドソン人质事件/青い红玉 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳间书店)
名探侦ホームズ 海底の财宝/ドーバー海峡の大空中戦!/ねらわれた巨大贮金箱 スタジオジブリ絵コンテ全集第II期 (徳间书店)
[编集] 幻の作品一覧
宫崎骏が関与・企画・构想するも诸般の事情で幻に终わった、もしくは実现していない作品のリスト。なお、いくつかのタイトルは便宜上付けられた仮题である。
长靴下のピッピ(アストリッド・リンドグレーン原作の児童文学作品)
ユキの太阳(ちばてつやの漫
崎 骏(みやざき はやお、1941年1月5日 - )
は、东京都文京区出身(墨田区出身という说もある)のアニメーション作家である・映画监督・漫画家。崎玉県所沢市在住。别名として秋津 三朗(あきつ さぶろう)、照树 务(てれこむ)がある。东京都立豊多摩高等学校、学习院大学政治経済学部卒。
株式会社スタジオジブリ(所在地:东京都小金井市梶野町1-4-25)に映画监督として所属し、取缔役として経営にも参加している。また、自身が企画开発した三鹰の森ジブリ美术馆の馆主である。个人の事务所は株式会社二马力で、主に宫崎の著作権関连の管理を行っており、自身は代表取缔役社长である。血液型はO型。
监督作品
[编集]
(长编アニメーション映画)
1979年 ルパン三世 カリオストロの城(脚本)
1984年 风の谷のナウシカ(原作・脚本)
1986年 天空の城ラピュタ(原作・脚本)
1988年 となりのトトロ(原作・脚本)
1989年 魔女の宅急便(脚本)
1992年 红の豚(原作・脚本)
1997年 もののけ姫(原作・脚本)
2001年 千と千寻の神隠し(原作・脚本)
2004年 ハウルの动く城(脚本)
[编集]
(短编アニメーション映画)
1995年 On Your Mark~ジブリ実験剧场(原作・脚本)
2001年 フィルムぐるぐる(絵コンテ)
2001年 くじらとり(脚本)
2002年 コロの大さんぽ(原作・脚本)
2002年 めいとこねこバス(原作・脚本・トトロ役)
2002年 空想の空飞ぶ机械达(原作・脚本・ナレーション)
2006年 水グモもんもん(原作・脚本)(公开予定)
2006年 星をかった日(脚本)(公开予定)
2006年 やどさがし(原作・脚本)(公开予定)
[编集]
(テレビアニメーション)
1971年 ルパン三世 (TV第1シリーズ)の一部(Aプロ演出グループ名义)
1978年 未来少年コナン
1980年 ルパン三世 (TV第2シリーズ)
第145话「死の翼アルバトロス」(照树务名义)
第155话「さらば爱しきルパンよ」(照树务名义)
1985年 名探侦ホームズ
第3话「小さなマーサの大事件!?」
第4话「ミセス・ハドソン人质事件」
第5话「青い红玉」
第9话「海底の财宝」
第10话「ドーバー海峡の大空中戦!」
第11话「ねらわれた巨大贮金箱」
[编集]
主要参加作品
[编集]
(剧场用アニメーション映画)
1965年 ガリバーの宇宙旅行(动画・原画)
1968年 太阳の王子ホルスの大冒険 (场面设计・原画)
1969年 长靴をはいた猫(原画)
1969年 空飞ぶゆうれい船(原画)
1971年 どうぶつ宝岛(アイデア构成・原画)
1972年 パンダコパンダ(原案・脚本・场面设定・原画)
1973年 パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(脚本・美术设定・画面构成・原画)
1977年 草原の子テングリ(画面レイアウト(部分))(ノンクレジット)
1995年 耳をすませば(一部演出・脚本・プロデューサー)
[编集]
(テレビアニメーション)
1974年 アルプスの少女ハイジ(场面设定・画面构成)
1976年 母を访ねて三千里(场面设定・画面构成)
1979年 赤毛のアン(场面设定・画面构成)(一~十五话まで)
[编集]
その他の作品
[编集]
漫画・絵物语など
长靴をはいた猫
砂漠の民(秋津三朗名义)
どうぶつ宝岛
妹へ
风の谷のナウシカ(全七巻)
宫崎骏イメージボード集
シュナの旅
宫崎骏の雑想ノート
飞行艇时代
泥まみれの虎 宫崎骏の妄想ノート
「风の谷のナウシカ」-宫崎骏水彩画集
[编集]
デザイン(シンボルキャラクターなど)
TVCM『日立マクセル・ニューゴールド・ビデオテープ』のワンダーシップ号
TVCM『日立パソコンH2』のポシェット竜
実写映画『赤いカラスと幽霊船』の幽霊船
日本テレビ放送网のシンボルキャラクター「なんだろう」
神奈川県「かながわ・ゆめ国体」のマスコットキャラクター「かなべえ」
三鹰市のみたかモールのマスコットキャラクター「POKI」
江戸东京たてもの园のシンボルキャラクター「えどまる」
読売新闻のシンボルキャラクター「どれどれ」
[编集]
作词
「君をのせて」(「天空の城ラピュタ」挿入歌)
「となりのトトロ」(「となりのトトロ」エンディング)
「カントリー・ロード」(日本语訳词の补作)(「耳をすませば」エンディング)
「もののけ姫」(「もののけ姫」主题歌)
「千と千寻の神隠し」イメージアルバム
「神々さま」
「油屋」
「さみしい さみしい」
「白い竜」
「お母さんの写真」(CMソング)
[编集]
著书(対谈・インタビューなど)
『何が映画か―「七人の侍」と「まあだだよ」をめぐって』(黒泽明との対谈集)
『时代の风音』(司马辽太郎、堀田善卫との鼎谈集)
『トトロの住む家』(画文集)
『出発点 [1979~1996]』(エッセイ集)
『虫眼とアニ眼』(养老孟司との対谈集)
『风の帰る场所―ナウシカから千寻までの轨迹』(インタビュー集)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E5%B4%8E%E9%A7%BF